2016年10月25日火曜日

大宇宙の本源に繋ぐ


大宇宙の本源の”氣”に意識を合わせる

古いメール交換に於いて又氣付きを頂きました。

ひさえ様

すっかりご無沙汰してしまいました。メールありがとうございます。
地震の後、家はたいした問題はないのですが、学生のお世話をする仕事をしていて一緒にキャンプをしたり、自宅のファームの仕事と共に適度に忙しく、調子良かったのですが、
地震のせいで観光客もめっきり減り、ガイドの仕事は全くなくなり、学生も来なくなり、
C町はつまらない寂しい町となっている気がします。
娘も休みが終わり、W町に行ってしまい、私は心が満たされない寂しさを感じていました。
そんな時、ひさえさんのメールが届き、

ネガテイブな出来事に意識を会わせるのではなく、
大宇宙の本源のに会わせるようにして、
難問を乗り越えるようにして生きたいと思っています。」

という言葉がとってもうれしかったです。まるで、私の今の気持ちを知って誰かが
久枝さんに伝えてくれたかのようです。
でも、大宇宙の本源の気にあわせるとはどうしたら良いのですか?

こういうことを喜び、周りの人に左右されないようにしたいと思います。
きっとそういうことですよね?
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

M様

お便りありがとうございます。
親は特に母親は子供が側から離れて行くと、今まで思いのままに愛情をかけていたその相手が
側にいなくなると心の空しさを感じるようですね。

私も同じような経験があります。
日本に駐在していた時、子供達2人をNZのボーデイングスクールに
入れた事がありました。

私は朝から寂しさに泣いてばかりいました。
遠く離れていても愛情はいくらでも通じる事でしょうが、
私自身が真なる自分を見出しては居なかったので、周りの人や、家族に愛情を求めてしまっていました。

とてもつらい不安定な心境のときでした。
あれから30年以上も経ちますが、、、、。
そう言う経験があったから、そして長い事、本物探しの道を歩んで来たからでしょうか、
今はみんな良い経験だったとどの問題にも感謝して笑って話も出来、
人生ってな~んて楽しいのでしょう!!と思えるようになりました。

でも大宇宙の本源に繋ぐとはどうすれば良いのでしょうか?

それは簡単なんですよ。”本物の自分”を輝き出させれば良いのですよ。
自分が輝き幸せであるならば自然の周りも輝いて来ます
幸せが望みなら他の人に幸せを与えればいい
人の為に無我になって働く事が周り回ってきて自分を幸せにしている事になるのですね。

(これが分かるまで私は大分時間がかかりましたが、、、)

でも人は良く言いますね、自分が幸せでないのにどうして人に
幸せを与えられるのか?

私はまず自分が幸せ感をもてるようにする実践を徹底して続けてきました
いろいろなスピリチュアルな本を読み
セミナー等にも参加してお話を聞いたりしてきましたが、、、、。
私は”魂の本源に帰る”修業を実践して来たように思います。

まず、

 * 天地全てのものに感謝
 * 天地のそのままの心に委ねる
 * 何事にも真心を出す
 * 一切の出来事に無心で実行
 * 常に全ての面でプラスの面のみを見る
 * 常に自我をなくす
 * 神の命が吾を通して此所に生きているとの自覚で
   人生を歓びをあらわす為にあると信じて生きる
 * 毎日瞑想等をして心を光明化する


此れ等を心がけて生きてきました。
まだまだ修業が足りませんが、今の大変化の時代に色々な出来事を見聞体験する
事が出来とても幸せだと、改めて実感しています。


お互いに此れからの人生を今の此の一瞬に命を架けて生きていきましょう

生きとし生ける物が仕合せでありますように、、、、
自由であります様に、、、、
健やかであります様に、、、、



久枝安寿妙光

2016年6月26日日曜日

マナテプナ(聖なる山)探検日記

聖なる山 ”MANA TEPUNA”(古代の叡智)
   探検日記




コルー道場の敷地内にある小さな丘は谷側の
コルー道場を見守る様に南の山並みにあります。
              


敷地内に流れる幾つもの谷川が美しい滝となって
絶える事無く流れ落ち、
龍神が其の姿を?!写真に影を落とす事もあります。


               
              
禊の滝、龍宮の滝、合気の滝、と其々名前を付けて
おりますと、その清らかなエネルギーの飛び火が
祈る人に優しく応援してくれてる様です。

                    
     
(禊の滝)


          
(合気の滝)

龍宮の滝周辺には後に発見されたストーンサークル
"五龍石”(後に此所はパワースポット等と云われる
様になった)
が関係しているのか繋がりが広がり”マナテプナ”は、
聖なる丘で’五龍石’と関係が深く繋がって居る様に
感じます。
                 
(五龍石)

此の全敷地は約70エーカーの谷川を挟んだ小さい
大自然の懐の様な所になっています。           
               


購入した当時に撮った上空写真でみると全体の濃い緑の
ブッシュが鳥の形になっている事を発見、嘴から
道場敷地に入って来て、赤印が道場の所在地に
なっています。 (丁度心臓の位置!)

そして中腹にある小高い丘が”マナテプナ”になります。


         (写真外からの丘)
         


約12~3年前のある日、隣家の孫息子に当る
まだ純なる子供に聖霊が降り、
「何時でも昇って来て宜しい。
私の名は"マナテプナ"と云うのだよ!」
とマオリ語でしゃべり出したのです。

”マナテプナ”とは後ほど調べた結果、
マオリ語でWisdom of Ancient( 超古代の叡智)
という意味になり其の白人の子(当時5歳)
はマオリ語を知りません.

私たちが此所に移って来る以前から、
私は此の丘や自然林の中は何とも云えない幻想的な
美しい霊波に満たされていたのを体感していました。


道場建設が決まった後、私達は建設予定地迄に
小道を切り開き毎朝川縁に降りて谷川の水を掬い
神聖な大自然の道場建設予定地にふりかけて
感謝の祈りを捧げておりました。
              
           
(古い小道)


色々な紆余曲折出来事がありましたが、
無事にドーム道場の
建設が完了したのです。           


2016年4月17日日曜日

大自然にとけ込んで

 
大自然の中で生活している私たちには下記にシェアーした生活は当たり前と
感じていますが、、確かに身体の調子は30年前に比べても調子が
良くなって若返って来ている様に私自身は自負してします。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
もっと、大自然に溶け込んでください!


人がたくさん集まる場所に行った後、とても疲れた感じがするのは、いろいろな
エネルギーに反応したためです。

自然の中に身を置くとき、エネルギー体がのびのびします。
自然の中に身を置くと、癒やされると誰もが感じます。
どうしてでしょうか!
私たちのエネルギー体(魂)は、身体を取り囲むようなたまご型をしています。

誰か人に会って、ああ疲れたなと感じるときはエネルギー体が収縮しています。
そんなときは肩がこったなと感じます。
都会にいるとき、目には見えないけれど、ひとりひとりの体を取り巻くエネルギー体を感じているし、反応もしています。
その証拠に、初めて会う人に、どこがとは言えないけれど嫌な感じがするとか、
苦手だと感じることがあります。
理由はないのにそんな風に感じるのは、エネルギー体が反応をしている
からです。
磁石のマイナスとマイナスを近づけると反発するように、なんらかの
エネルギーの反応をしているからです。
例えば、責任感のない人は嫌だという考えのある人は、責任感のない人のエネルギーに反応します。感覚として反応しているので、頭ではなぜかなあと思いながらも、内側の感覚は嫌だと感じているのです。
人がたくさん集まる場所に行った後、とても疲れた感じがするのは、いろいろな
エネルギーに反応したためです。
建物には建物のエネルギーがあります。
どんな思いで、どんな状況の中でそれを建てたのかといったエネルギーがありますし、土地にもエネルギーがあります。土地には、今ここに住んでいるまたは活動している人たちのエネルギーがあり、また過去に起きたさまざまな記憶もあります。戦場や誰かが戦った場所かもしれません。
そうしたエネルギーとも、自分のエネルギー体は交流しています。
さまざまな情報交換をしているのです。

自然の中に身を置くとき、エネルギー体がのびのびします。
あれを早くやりなさいという上司からの圧力もなければ、近所付き合いの
気兼ねもなければ、誰からもエネルギーを押されることもありません。
売上や競争のエネルギーが動いている土地でもありません。


自然界はあるがままです。
樹木も花も、完全に今この瞬間の自分自身を生きていて、どこにも圧をかけては
いません。自然界に圧力はありません。
ナラの木が、実は杉の木にはもう少し低くなってもらいたいとか、
そばから離れて欲しいとか、あの濃い緑色は好きじゃないなどと思うことは
ありません。自然界はあるがままです。
植物は、誰がどうだからなどと、横目で周りのことに気を使うことは
ありません。
ただ、自分自身の命を燃やすために、今、この瞬間を生きています。
植物は純粋意識の現れです。 ゆがみはありません。
そうした純粋意識の現れの中に居ると、心も身体もゆるんで広がっていきます。

なかなか自然の中に行けないのなら、葉っぱの一枚に自分のハートを
重ねてみます。
葉っぱの一枚には、樹木全体があります。
葉っぱの葉脈を通る水は、大地に張り巡らされた根っこが、大地深くから水を吸い上げて、樹木全体をめぐらせ、葉っぱの一枚一枚にも届けたものです。
葉っぱの中に流れる水は、海から蒸発して雲となった水が、
旅をしながら世界を眺め、大地に惹きつけられて降り注いだ水です。
この水は地球を知っています。そしていずれ海に帰る水です。
水は、蒸気になって空を舞い、水になって大地を洗い、川になって
海に帰り、地球を循環しています。循環しながら植物を育てています。
一枚の葉にも、地球が描かれています。
そうした流れに意識を沿わせて、固くなったエネルギー体をほぐすことも
できます。
自然は癒しです。
        
                    (トリ二ティ)より

                佐田豊美さんファイスブックより
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(此所で言っているエネルギーとは『氣』と日本的な表現が良いかもしれませんね。)
光流道場の自然林のブッシュの中は此のエネルギー(偉大な氣)が満ちているパワースポットにもなっています。


2016年3月28日月曜日

奇跡の連続

1988年日本から帰国してオークランドに住していた頃の事、
面白い出会いや物が集まってきていた事があった。
其の当時は余り深く考える事も無かったが、、、、、


今日はイエスが死より復活した日として”イースターマンデーイ”として
2000年以上も信者からまた聖者として多くの民から慕われこの日を
お祝いされて来た。

キリストは死より3日後に生き返り、姿は見せずともそのスピリットは
人々を真理にそして愛に導いて来た。


今朝わたしは目が覚めてみたら、自分は数えきれない程の奇跡を
頂いていた事に気が付いた。

其の幾つかは当たり前の事なのに気が付かなかった人生の面白さ!!

この年になって生きている事に、いえ、今生かされている事に、
無上の歓びになってまいります。

色々な人との巡り会いも、出来事も、事件も、何とも絶妙のタイミング!
で現れていました。


今日は復活祭の日でもあるので、キリストに繋がる数件を記して見ます。
写真や物が集まって来ていた事がありました。

ある日突然男性がオークランドの家を尋ねて来ました。その方は私が町の中に
ある本屋さんに提供してあったフリーの雑誌をみて尋ねて来てくれました。

そしてこの写真を持って来てくれたのです。






オークランドに住む女性キリスト信者の2人はサイババの信奉者で
彼に会って小さなコンピューターで書いたキリストの写真を持って
サイババにこの写真に祝福をお願いしに行ったそうです。

サイババは彼らの前に止まりこの写真を奇跡の様に
数回振り回した後写真紙に数分後この写真が現れたそうです。

キリストに関するその2、

十字架の光がリビングルームの窓に現れた写真も頂きました、

オークランド、エプソムに住んでいた頃近所を散歩していたら、
窓に十字架の光が写し出されていました。
自然に現れたそうですが、そこに住む夫妻は当時“世界救世主、マイトレアー”
の紹介をしていたグループで、毎週瞑想の集いをしていました。
私も何回か出席してエネルギーを感じて来ました。





サイババに関する物でもう一つは日本のテレビが撮ったドキュメンタリー
のビデオが私の所に来ていました。
ある日本人の友人にそれを貸したら、彼女もサイババから伯母さんがもらった
と云う”灰”を見せてくれ、其の半分を私にも頂いた事があります。

この”灰”は感心がある人に少しずつ差し上げて来て、此所に残ったのは
ホンの少しになりましたが、相変わらず奇跡の余韻が残っております。




もう一つの此所に到来した写真
此れはフィロソフィカル、ソサイテイーの
マダムブラバスキー女史の写真に彼女を守護する3人の背後霊(師)が
ハッキリ移っている写真!

左からLord KUTHUMI, Lord MORYA, Lord ST.GERMAIN








面白い出来事も普段私たちが使っている引き寄せの法則なのかもしれません。

人生此れからも面白く豊かに過ごして行きたいものと
今日も’陰陽みそぎ’の浄心行をしていきます。

生きとし生けるものが幸せてありますように、、、
健やかでありますように、、、
豊かでありますように、、、、。

感謝合掌

安寿妙光

2016年キリスト復活の日に因んで、、、

2016年2月20日土曜日

人間誰もがアーテイスト



人は誰もがアーティスト   


                          四角大輔

「人は誰もがアーティストであり冒険家ぼくはいつもそう語りかける。
この投げかけに多くの人は、
「私は絵を描けません」「歌ったり、踊ったりできません」
「アートに関する才能なんてないです」と、拒否反応を示してくる。
〝アーティスト〟という言葉の響きに尻込みしてしまうからだ。
でも、そうじゃない。
〝アーティスト〟とはある芸術の分野に長けている人の
ことだけを指している言葉ではないんだ。
人生という名の旅は、ぼくらがこの世に生を受けた瞬間からはじまった。
この旅は実は、〝表現活動の旅〟だったことを知ってるかい?

地球上に生きる人すべてが、安全かつ〝100%安心な母親の胎内〟から、
〝危険な未知の外界〟に命賭けで飛び出した。
それは誰にとっても、とてつもなく大きな勇気を必要とした
人生最大の挑戦だったんだ。
生まれたあと、たとえあなたがワールドクラスの冒険家になり
世界最高峰のエベレストに登頂したり
カヤックで大西洋を横断できたとしても、
あの〝誕生という冒険〟の方が比べようがないほど危険だったんだ。
そして、新生児としてこの世に生を受けたその瞬間、
誰もが驚愕し、感激し、震えたはず。
ぼくらはそれぞれの方法でいろんな声でその衝動を表現したはず。
命からがら誕生し、声に出せず心の中で叫んだ人もいただろう。
その日から今日まで意識しようがしまいが、圧倒的な事実として、
ぼくらは全員、表現活動を続けてきた。
これは絶対不変の真理なんだ。


〝生きる〟とは、命を燃やしながら、人生というキャンバスに
自分を描き、表現し続ける行為。
つまり、人間=アーティスト(表現者)〟ということだ。
あとは、あなた次第。
その事実を認めた上で表現者としてあなたの人生を生きるか、
その事実から目をそむけて〝自分らしさ〟を封印したまま
残りの余生をなんとなく過ごすか。
覚悟があなたの人生を決める。
その覚悟さえあれば、あなたは自由になれるんだ。

この星には70億人以上が住むけれど、誰ひとりとして、同じ人間はいない。
ひとりひとりが特別な存在だ。
これまでぼくは
多くのシンガーやバンド、クリエイター、起業家、そして学生たちのプロデュースや
インキュベーション活動に従事してきた。
そして、
毎日の生活で数えきれないくらい多くの人たちに出会ってきたけれど、
誰ひとりとして〝普通の人〟なんていなかった。
もしあなたの知り合いで「この人は特別ではなく普通なんです」
という人がいたらぼくの前に連れてきて欲しい。
どんな人でも、ぼくは絶対に
その人が特別であることを証明してみせよう。
誰もが「その人にしかないいびつさ」を持っていて、
ぼくにはそれが〝小さな輝き〟として見えるんだ。
ぼくら人間はそれぞれがまったく違うカタチをしていることを
知っているかい?
パズルのピースを思い浮かべてもらえばいい。
丸とか正方形とかの〝定型〟ではなく、ガタガタで、いびつで、
ひとつとして同じカタチは存在しない。
みんな違ってあたり前で、〝普通〟とか〝同じ〟とかあり得ない。
でも日本には、もはや時代遅れで画一的な〝生き方〟や〝成功〟を
〝ジョーシキ〟や〝正解〟として押し付けるガチガチの教育システムと
強烈な社会重圧、同調圧力がある。
それは、支配者層にとって都合のいいコントロールしやすい人間を、
大量生産するために張り巡らされた巧妙なソーシャルシステムだ。
ぼくも、
そんな異常な仕組みとプレッシャーに、負けてしまった時代があった。
もともとぼくが持っていた、ギザギザ、トンがっていた部分を削り取られ、
丸や正方形の中に押し込められそうになった。
「その型に収まってしまった方が楽かも」とまで思うようになり、いつの間にか
自ら自分の形を〝枠〟にはめようとしていた。
自分で自分を縛り付けていたんだ。
その結果、顔の半分がけいれんしたり、
人前に立つだけで顔と体が発熱したり原因不明のじんましんが出たり、
言葉をスムーズに発せなくなったりした。
夜、眠れなくなったこともあった。
自分がジブンでなくなってしまったようで怖かったんだ。
たとえ頭で、他人の命令に従おう、周りに合わせようとしていても
体の胸のあたり、心の一番中心に存在する
〝ぼく自身〟である〝魂〟が
〝体というツール〟を使って必死になって「ダメだ!」と叫び、
サインを送ってくれていたんだと思う。

あなたの魂を殺す、目に見えない圧力や目に見えるシステムに負けつづけていると、
人間は気付かないうちに、同じカタチの枠に収まりきってしまい、
感性や才能、アーティスト性を失ってしまうことになる。
ついにはその状態が〝あたり前〟となり、安堵を感じるようになってしまい、
そこから抜け出すことに恐怖さえ感じるようになる。
そうなってしまうと〝あなた自身〟は存在感を失ってしまい、
あなたの〝魂〟は消滅してしまうんだ。
その状態はまるで〝肉体という器〟だけが残された抜けがらのような、空洞化人間。
それは〝肉体の期限=命〟を失うことよりもやってはいけないことだ。
「人の命こそが地球上でもっとも尊い」という有名な言葉があるのは知っている。
しかし誤解を恐れず言うと、ぼくは違うと思っている。
肉体は今回の人生における単なる〝期限付きの借りモノ〟だけど
心の最深部にある〝魂〟は永遠だ。
単なる物体(=身体)の寿命よりも、永遠なる魂の方が尊い、とぼくは信じている。
命を失うことよりも〝魂を売ったり汚したりすること〟のほうが
やってはいけない行為。
自分の心に嘘をついてはいけない。
ぼくはそう信じている。

だから、あきらめて欲しくないんだ。
どんなに強い力で箱に押し込まれそうになっても
最後まで抵抗して欲しい。
死ぬ気になってあなただけのかけがえのない
美しき〝いびつさ〟を守り抜いて欲しいんだ。
でも、ひとりで頑張る必要はない。
自ら先に心を開き、本気で探せば必ず〝ひとり〟は味方がいるから。
それは家族かもしれないし、友かもしれないし、恋人かもしれない。
SNSでつながった同志かもしれない。
その人はあなたのピースに欠けている部分を
補ってくれるだろう。

そして、あなたの出っ張りはその人の隙間をしっかり埋められるだろう。
世界はそういうふうにできている。
ここで声を大にして伝えたいのは、〝本当の味方〟は、
ひとりいれば充分、ということ。
そう、ひとりだけでいい。
もしあなたが 不安に押しつぶされそうになったとき、
この話を思い出して欲しいんだ。
あなたが生まれ持ったその〝いびつさ〟こそが
〝あなた独自の美しさ〟となる。
繰り返して言うが、ぼくの眼にはそれが
〝小さな輝き〟として見えるんだ。
その人にしかない〝感覚や好き嫌い〟を
ぼくは〝いびつさ〟と呼び、
そのカタチがいびつであればあるほど、
その光はまぶしいほどの力を放つ。
その輝きこそが、
人を〝オリジナルワン〟たる存在にする。
その神聖な〝いびつさという輝き〟に触れた瞬間、
ぼくはその人にアーティスト性を感じるんだ。
言葉を変えると、
それは〝才能〟や〝感性〟という意味も含んでいる。
ぼくがこれらの言葉を持ち出すと、拒否反応を示す人が必ずいる。
〝才能=ホームランバッター〟〝感性=天才的なセンス〟ではない。
決して、ない。
世間でいうメジャーな能力のことだけを指している言葉じゃない。
「とにかく湖が大好き」
「大きな魚を釣るためならどんな努力も可能」
「土いじりなら何時間でもやれる」
「買い物は面倒でキライだ」
笑わないで欲しい。これはぼくのことだ。
こんなことが輝き?
それが才能なの?って思うかも知れない。
でも、
「放っといてくれ!コレがぼくなんだ!」
と叫ばずにはいられないほど、
恥ずかしいけどコレこそがぼく自身なんだ。
「変わってる」
「ヘンなヤツ」
「不思議キャラ」
とずっと言われてきた(たぶん今も・笑)。
声を大にして言わせて欲しい。しょせん人間なんて全員が〝変人〟だ。
繰り返し言おう。〝普通の人〟なんてこの世にはいない。
ぼくは未だに〝まとも〟とか〝あたり前〟の意味がわからない。
それでもまだ、
「普通になりたい。皆と同じでいい。いびつは嫌」という人はいるだろう。
そんな人はぜひ、あなたが生まれた瞬間の
赤ちゃんのころを思い出して欲しい。
あのころは誰だって、圧倒的にいびつだった。
バランスをとれる赤ちゃんや、気配りができる赤ちゃんなんていない。
当然〝自分らしくない〟赤ちゃんもいない。
あのころは誰もがその瞬間の感情をただ表現していただけ。
とてもシンプルな状態だったんだ。
そしてあれこそが、人間のもっとも美しい姿なんだ。
あの瞬間に戻れ、と言っているのではない。
あのころを思い出して欲しいだけだ。
でも人間は、ひとりでは生きていけない。
人と関わったり、支え合い、大切な家族や仲間がいることではじめて
ぼくらは幸せを手にすることができる。
そのために必要な、人類の歴史で完成された美しいマナーや、
他者や自然界への思いやりや慈愛を物心つくころから、ぼくらは学んできた。
そうやって努力して身につけた〝社会に生きる個としての美しさ〟に、
失われてしまった純真無垢なあの〝生命体(=アーティスト)としての美しさ〟
を改めていま、掛け算してもらいたいんだ。
そうやって〝自身のルーツ〟を再確認し、自分自身である〝あなたの中心部分〟
つまりあなたの魂と深くつながれるようになると、
驚くほどのあなたらしい〝創造性〟が、そして強烈な〝個性や独創性〟が
自然に湧き出てくるから。

つまり、あなたの中に眠る〝真のアーティスト性〟を見つけ出し、
恥ずかしがらず臆せず、表現活動を再開して欲しい、ということだ。
今からでも決して遅くないから。
怖いって?
わかる。
そんなときは
生まれたときのあの冒険を思い出そう。

ぼくらは全員「誕生」というあの命懸けの挑戦を経験しているんだ。
あれよりも危険なことは存在しない。
ぼくらが生まれて最初にとった行動が〝命を賭けた冒険〟だったんだから、
怖がることはなにもない。
生を受けてこの大地に立つ以上、
「挑戦しない人生に意味はない」ということを
実は、ぼくらは知っているのだから。

最後に。
パズルのピースの話を思い出して欲しい。
それぞれのパズルが
いびつなカタチであることに重要な意味がある。
ひとつのピースが本来のカタチを放棄したら
パズルは完成しない。
人類とは、70億ピースの壮大なパズル。
人類全員が自分自身のいびつさを認め、
その本来のカタチを取り戻すべく
自分自身に集中すれば、
他人の人生を生きようとしたり、
他人をうらやましいと思ったりしないはず。
そして、
他者のいびつさも認められるようになり
自分とは違う、そのいびつさを美しく愛おしく思えるようになるんだ。
人種、性別、外見、出自など表面的などうでもいいことで
人を差別することもなくなるだろう。
差別ほど〝非クリエイティブな行為〟はないと誰もが気付くだろう。
必然的に、傷つけ合うことも、
嫉み合いや奪い合いもなくなり、
〝与え合い〟がはじまるはずだ。
戦争やテロ、貧困も消え去ってゆくだろう。
それぞれがその本来の〝美しい姿形〟を手にしたとき。
つまり人類全員がアーティストになれたとき、
人類というパズルは完成することになる。
それが、世界が目指す方向であり、人類がもっとも美しくなる瞬間だ。
それは地球上にわずかに残る原始林と呼ばれる〝太古の森〟と同じ姿。
その森のあるエリアではお互いの栄養分を奪い合ったり、
滅ぼし合う〝寄生〟は存在しなくなっていて、
樹々も動物も苔も地衣類も微生物も、
すべての命が〝与え合う〟世界になっている。
つまり〝共生〟状態。
それは人工的に作られた杉林のような
単一種の森とはまったく違う。
植物や樹々はもちろん、無数で多様性あふれる
ひとつとして同じ形のものはない
生命たちがそこに存在し、
美しき色とりどりの世界、
究極のグラデーション・ワールドを創り出している。
それぞれの命が尊重し合い、それぞれの命が支え合っている。
その結果、
森全体が〝ひとつの命〟となっているんだ。
そう、この〝共生状態〟こそがもっとも美しい完璧な世界なんだ。


The Perfect World.
ぼくら人類はそんな〝太古の森〟のような
圧倒的に美しい世界を目指すべきなんだ。

笑ってくれてもいい。
妄想家と呼んでくれてもいい。

2016年1月6日水曜日

2016年のエネルギー





2016年のエネルギー  (愛知ソニアのブログよりシェアー)

 2016年はいよいよ宇宙時代の開幕です。宇宙情報がいっそう増える中、目が点になるような情報もたくさん伝えられるでしょうね。ワクワク

 さて、2015年は、方向転換、発展、進歩、拡大といったダイナミックなエネルギーが働きかけていました。

 2016年は2015年と打って変わり、バランスを維持すること現状を維持することにエネルギーが強く働きかけます。

 大勢の高次の存在たちも、地球の平和と調和を維持するために、2016年は全力パワーを発揮して応援してくれることでしょう。

 そういった高次の存在たちの働きかけを促すためにも、私たち個々にできることは、どんな状況に置かれても心の平和と、あらゆる側面の調和を常に意識することです。

 今まで好奇心から、なんでもかんでも試してみることに慣れていた人や、すぐに飽きてしまい、新しいものに気が移る癖のままでいる人は、そのままでつき進むと、ますます混乱するだけでしょう。

 もっと見極める力と、ほんとうに必要なことだけに絞ること、エネルギーセーブする訓練が求められています。そのためにもちゃんとセンタリングしている必要があります。

 かぎられたエネルギーをいかにうまく利用できるかが、2016年の最大のテーマとなるでしょう。与えられた環境や物、能力、資金を最大限に活かすことにクリエーティブになってください。そして、すでに与えられていることに感謝する気持ちをいつも忘れないように! 

 エネルギーはさらに強さを増します。あらゆることに勇気が試されます。仲直りするための勇気、プライドを捨てる勇気、よくないパターンを捨てる勇気、自分の気持ちを大切にする勇気、新しい経験を受け入れる勇気、不安から解放される勇気などです。

 ますますエスカレートするエネルギーは、水面下に潜んでいたものを浮上させます

 今まで見えていなかったものが引き出されます。外的世界では、さまざまな対立の根底に隠れていた真実が、2015年以上にさらに暴露されるでしょう。個々の内的世界も同じで、ずっと塞ぎ続けていたものに意識を向けて、光を照らすチャンスが訪れるでしょう。

 単なる妥協ではなく、互いの相違点を認め合うことで、より快適な生き方ができるようになります。

 心地よく生活することも2016年の大きなテーマです。1月、2月、3月あたりまでは、どのようにすると、自分にとって心地よく生きることができるのか、よく考えてください。5次元では、心地よさが生き方の基盤ですので、そうでない部分や環境をまず改善するように努力してください。エネルギー低下しないようにあらゆる面で注意を払ってください。エネルギーが強くなるにつれて、それを活かせるようにベストコンディションでいる必要があります。

 12月中旬ころから、またエネルギーが大きくシフトしました。物事の捉え方が変わりましたか? やっていることは今までと変わっていないのに、重荷がとれて軽くなった感じがしませんか? ストレスをさほど感じなくなったとか、急に楽になった感じがするとか? それまで苦しかったのに、問題はそのままなのにあまり気にならなくなったとか?

 それでいいんです。せっかくそうなっても、また以前の思考パターンに戻ると、心配や不安がまた戻ってきますので、そうならないようにシフトを受け入れてください。まずは、フィーリングから変化が起きてから、現実が徐々に良い方向へと向かいます。

 2016年は、皆さんの直観力がますますアップしていきます。見極める能力には、欠かせませんね。

 スピリチュアルな世界は多様性に富んでバラバラですね。哲学系、癒し系、UFO系、啓発系、宗教系などさまざま入り混じっていて、さまざまな人たちが活躍しておられますが、ここで皆さんの直観力を発揮して見極める力をつけてください。かっこいい言葉や、かっこいい外見に惑わされないようにしてください。ほんとうにすばらしい先生たちはというと、残念ながらあまり目立たず、普通の人たちなのですね。

誠実さが基本です。その人の言っていること、その人のやっていること、考えていることに一貫性がありますか? 「誠実さ」とは、それらが一致していることです。活躍されている方々個々の実生活が伴わなければ、どんな素晴らしいことを語られても、うわべだけで意味はないのです。その人に人間的な優しさがあるかどうかを、尺度にしてください。これは、友人関係でもいえることです。2016年も気づき気づきの多い年となるのはまちがいないです。

 2016年は、世界観がそれまでとはまったく変わってしまうようなことも起き得る可能性もありますので、しっかりと地に足をつけておきましょう。大規模の天変地異が起きる可能性があります。しかし、高次の存在たちはそれを最小限に抑えて、地球を安定させるようにがんばってくれています。

 闇の勢力は、一切合切にして、もう一度最初から地球を再建しようとまで考えています。歴史は繰り返すといいますが、地球は何度もそれを経験しています。と同時に、難民制度や世界金融、教育含むあらゆるシステムが新しいものと入れ替わる兆しもあります。狂信的な宗教対立もクライマックスを迎えるでしょう。きわめて不安定になっていくことはたしかです。メディアは私たちの不安をどんどん煽り立てるようになっていきますので、距離を置くようにしてください。ほんとうに知るべき情報は、なにもしなくても必ず入ってくるようになっているので、それを信頼してください。


 地球が穏やかに過ごしてくださるように、地球のスピリットにつながって語りかけることを怠らないようにしてください。

2016年1月4日月曜日




2016年1月3日、大自然参拝

宇宙の有機的な秩序に感謝して、、祈りを捧げて来ました。

                 合気の滝
                 

                  龍宮の滝


              ポータマシュライン(天国への階段)


              禊の滝

 
             
                  
初詣の願いを、、、祈りに、、、(Cosmic Diary News  よりシェアー)
              


大晦日。そして、元旦。
多くの日本人が、初詣に、神社やお寺に御参りに行きます。
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冬の澄み切った空気の中、ある種、敬虔な思いで、出かける。

心の底から、わきあがる思い、
すべてがつながっているという、
宇宙の有機的な秩序に、感謝する。
そんな「祈り」が、自然と生み出される時と場所。

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日本人は、何を祈り、願うのでしょうか?

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世界に平和が訪れることを願うのでしょうか?
人が生み出した環境問題を、解決していくことを祈るのでしょうか?
飢餓で苦しむ人たちを根本的に救うために、
菜食を広げていくことを誓うのでしょうか?
そのすべてを越える、大きな祈りを、
行いたいと思っているかもしれません。

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ところが、ほとんどの神社が、お寺が、ご祈願として用意しているのは、
決められたように、「家内安全」「商売繁盛」。
ご利益のための願いごと。
そして、それを多くの人が願います。
それは、「自分のための願い」への誘導。
自分の家族のための「家内安全」、
自分の会社のためだけの「商売繁盛」の願い。


真の「祈り」の時を、
そんな形の自分の「願いごと」をする仕組みにさせられてしまっています。
それを、これからも、そのまま受け入れていいのでしょうか?
1年の最初に。
新しい年も、そんな次元での願いごとの元に、生きることをまた、
日本人が、繰り返すべきなのでしょうか?

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それを、今、ここから、変えませんか?


自分のためだけの利益を願う方向への誘いに、無意識に従うのではなく、
心の底から、わきあがる思いを。
生命のための、平和のための「祈り」の気持ちを高めるような、
そんな変更を、心の中のエネルギーに、起こしてみませんか?

人のためであり、地球のためであり、宇宙の摂理に協力する、
本来の「祈り」を、多くの日本人が、神社で行うように促すことが、
特別に、重要な時なのだと思います。

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正月に、聖なる空間である神社に、
一つの神社、異次元への通路に、
一日に何十万人もの人々が集まり、願いごとをします。

生命のための、平和のための「祈り」の気持ちを高めるような、
そんな変更を、心の中のエネルギーから起こしたい。 


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地球人類全ての生きとし生けるものが幸せであります様に、、、

豊かであります様に、、、

自由であります様に、、、、、。


久枝安寿