2016年4月17日日曜日

大自然にとけ込んで

 
大自然の中で生活している私たちには下記にシェアーした生活は当たり前と
感じていますが、、確かに身体の調子は30年前に比べても調子が
良くなって若返って来ている様に私自身は自負してします。


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もっと、大自然に溶け込んでください!


人がたくさん集まる場所に行った後、とても疲れた感じがするのは、いろいろな
エネルギーに反応したためです。

自然の中に身を置くとき、エネルギー体がのびのびします。
自然の中に身を置くと、癒やされると誰もが感じます。
どうしてでしょうか!
私たちのエネルギー体(魂)は、身体を取り囲むようなたまご型をしています。

誰か人に会って、ああ疲れたなと感じるときはエネルギー体が収縮しています。
そんなときは肩がこったなと感じます。
都会にいるとき、目には見えないけれど、ひとりひとりの体を取り巻くエネルギー体を感じているし、反応もしています。
その証拠に、初めて会う人に、どこがとは言えないけれど嫌な感じがするとか、
苦手だと感じることがあります。
理由はないのにそんな風に感じるのは、エネルギー体が反応をしている
からです。
磁石のマイナスとマイナスを近づけると反発するように、なんらかの
エネルギーの反応をしているからです。
例えば、責任感のない人は嫌だという考えのある人は、責任感のない人のエネルギーに反応します。感覚として反応しているので、頭ではなぜかなあと思いながらも、内側の感覚は嫌だと感じているのです。
人がたくさん集まる場所に行った後、とても疲れた感じがするのは、いろいろな
エネルギーに反応したためです。
建物には建物のエネルギーがあります。
どんな思いで、どんな状況の中でそれを建てたのかといったエネルギーがありますし、土地にもエネルギーがあります。土地には、今ここに住んでいるまたは活動している人たちのエネルギーがあり、また過去に起きたさまざまな記憶もあります。戦場や誰かが戦った場所かもしれません。
そうしたエネルギーとも、自分のエネルギー体は交流しています。
さまざまな情報交換をしているのです。

自然の中に身を置くとき、エネルギー体がのびのびします。
あれを早くやりなさいという上司からの圧力もなければ、近所付き合いの
気兼ねもなければ、誰からもエネルギーを押されることもありません。
売上や競争のエネルギーが動いている土地でもありません。


自然界はあるがままです。
樹木も花も、完全に今この瞬間の自分自身を生きていて、どこにも圧をかけては
いません。自然界に圧力はありません。
ナラの木が、実は杉の木にはもう少し低くなってもらいたいとか、
そばから離れて欲しいとか、あの濃い緑色は好きじゃないなどと思うことは
ありません。自然界はあるがままです。
植物は、誰がどうだからなどと、横目で周りのことに気を使うことは
ありません。
ただ、自分自身の命を燃やすために、今、この瞬間を生きています。
植物は純粋意識の現れです。 ゆがみはありません。
そうした純粋意識の現れの中に居ると、心も身体もゆるんで広がっていきます。

なかなか自然の中に行けないのなら、葉っぱの一枚に自分のハートを
重ねてみます。
葉っぱの一枚には、樹木全体があります。
葉っぱの葉脈を通る水は、大地に張り巡らされた根っこが、大地深くから水を吸い上げて、樹木全体をめぐらせ、葉っぱの一枚一枚にも届けたものです。
葉っぱの中に流れる水は、海から蒸発して雲となった水が、
旅をしながら世界を眺め、大地に惹きつけられて降り注いだ水です。
この水は地球を知っています。そしていずれ海に帰る水です。
水は、蒸気になって空を舞い、水になって大地を洗い、川になって
海に帰り、地球を循環しています。循環しながら植物を育てています。
一枚の葉にも、地球が描かれています。
そうした流れに意識を沿わせて、固くなったエネルギー体をほぐすことも
できます。
自然は癒しです。
        
                    (トリ二ティ)より

                佐田豊美さんファイスブックより
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(此所で言っているエネルギーとは『氣』と日本的な表現が良いかもしれませんね。)
光流道場の自然林のブッシュの中は此のエネルギー(偉大な氣)が満ちているパワースポットにもなっています。