2015年5月6日水曜日

スピリットガイド


スピリットガイドとは      By 愛知ソニア


 スピリットガイド(守護霊)とは、あなたがこの世に生まれるずっと以前からいつもあなたの魂と共にいて、あなたを見守り、あなたの人生を応援してくれている存在たちです。あなたが生まれる以前に、あなたを光の道へと導くことを約束してくれたあなたの魂と縁の深い意識体たちです。あなたの魂が彼らを選んできました。彼らはこの三次元よりずっと高い次元(多くがアストラル次元)にいますが、あなたが彼らを必要とするときにサインを送ってくれたり、共時性に気づかせてくれたり、直観やインスピレーションを与えてくれたり、出会うべき人に会えるようにしてくれたり、危うく難を逃れるように仕向けてくれたり、いつでもあなたに援助の手を無条件に差し伸べてくれます。

スピリットガイドとして、幅広い意識体の存在たちがいます。

精霊、守護天使、大天使、守護霊、アセンデッドマスター、専門分野のマスター、女神、宇宙人、祖先、亡くなった親族、亡くなったペット、土地のスピリットなどです。

しかし、私たちは目には見えないスピリットガイドたちの存在に気づかず、つい自分一人で頑張っていると思ってしまいがちです。その点、子供たちは想像上の友だちがいつも側にいるといったように大人より簡単にガイドたちとつながりやすいのです。子供たちのように素直になって彼らとつながることを意識するようになると、夢や共時性を通して彼らとコンタクトできるようになります。さらには、困っているときもガイドたちからメッセージを受け取ることも可能になります。彼らはあなたの魂の成長を常に喜んでくれていて、あなたが今生のライフパーパスを達成できるように惜しみなく支援してくれています。

スピリットガイドから届くサイン

私たちは毎日忙しくしているので、天使からのサインが届けられていてもなかなか気づかないことがよくあります。またそのときはサインの意味が分からないこともあります。後になってやっと理解でいることも多いのです。

では、どういう形でガイドはあなたにコンタクトしているのでしょうか?

1. 同じナンバーが現れるシンクロを通して

これは、たとえばデジタル時計にふと目をやると、
4:44とか、11:11とかいったナンバーが並んでいる瞬間に目がとまるようなときです。
車のナンバープレートなんかも、たとえば、2323を何度も一日に目にとまるようなときです。

2. 羽が舞い落ちてきたり、羽を見つけるとき

散歩をしていて鳥の羽が見つかったり、上から落ちてくるときなどです。


3. 蝶がどこからか飛んできてしばらくついて飛びながら離れないときです。

4.「天使」ということばがよく耳に入ってきたり、天使のスティッカーや絵などがよく目にとまるとき

5.天使の光を写真や裸眼で見るとき

これは太陽の光線に白やゴールドが混じって、人の体の周りや部屋の中で見るときです。目のコーナーに紫やグリーン、それからピカっと光がフラッシュのよう に輝くのを見るときもそうです。天使があなたを援助したいとやってきています。とくに紫の光は大天使ミカエルで、グリーンは大天使ラファエルが近づいてきているときです。

6.同じメロディーの曲が頭の中で何度も繰り返すとき
  

  歌の歌詞が繰り返されるときは、その歌詞の意味が天使からのメッセージであることがよくあるので、注意を払いましょう。天使があなたになにかを伝えたいのでしょう。


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生きとし生けるものが仕合せであります様に、、、、
自由であります様に、、、、

深謝。  

2015年4月27日月曜日

夫婦となって50年

夫婦となって奇跡のような50年!







人は云います、結婚記念日には「努力して生きて行きます!」
と誓った初日を思いだすため、記念日に乾杯するのです。と、、

人生とは波乗りの様なものと例えられますが、
私もそうだった。
大波、小波を乗り越えて、今日があります。

他人であった人間が何かの縁で、夫婦の契りを交わし、
此の人生を肩を寄せ合い、人生を歩むのか!、、、と
バージンロードをハイヒール靴でヨロヨロしながら、
父親代理の野崎氏の腕に縋り付いていたのでした。

「ガタガタ振るえていたよ!」と後々の野崎氏が笑っていた。

 
当時の私の結婚は目に見えない霊なるものに繋がれていたのでは、、、
と云う事に後々気が付かされて来ました。

(5歳の頃日本語以外の言葉を聞いた時、、何か懐かしさを憶えた、、
其の時、何故か、日本語でない外国に何時か、住む様な気がしていた。
現代とは違い、戦後の其の頃は外国との交流など望みも出来ません)


結婚とは
”見えない赤い糸で結ばれている、夫が針、妻が糸、、”
”夫は家の大黒柱、妻はそれを支える土台”

時々糸が先に進もうとしたり、
土台が支える事をセズ、立ち上がってしまったり、
危ない、、あぶない、、家が崩れる寸前!
と、、幾度も反省し、、そして、
生命の本源に戻り、魂の行事に戻ったものです。

50年もの月日を一緒につき合ってくれた、
愛方Davidに心から感謝の気持ちを込めて、、、、
今夜は50年の労いをお互いに
祝い合い乾杯します。




(結婚とは詳しく書いてくれた西尾仁さまの言葉をシェアー致します)
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                                          by、西尾仁

「結婚記念日、結婚した日を何故祝うのか?」
 
祝っているのではないです。
結婚と言うのは、
今まで育ってきた環境が違う人間が一生を共にしようと
お互いを人生のパートナーに選ぶことです。
 
一人で一生を終える事もできますが、あえて他人を選ぶのです。
この結婚生活がうまくいくには、
365
24時間たえまない努力が要るのです。
 
それはお互い思いやり、いたわりあい、ねぎらい
自分の心と体以上に、相手のことを大事に優先する気持ちを
お互いに持ち続けることです。
 
一週間に一日会う人でもなく、
昼間に会う職場の同僚でもない、
36524時間死ぬまで一緒にいる他人です。
 
相手に対して最大限の敬意と、細やかな神経を使い、
 
親兄弟よりも最優先する相手。それが結婚相手ということ。
 
その努力がお互い継続していることを、お互いに感謝し
「努力して生きていきます!」と誓った初日のことを思い出すため、
記念日に乾杯するのです。
 
夫婦は血肉のつながった親兄弟ではないのです。
何かのすれ違い、ボタンの掛け間違いで
あっという間に別れてしまい、一生会う事もなくなる。
全ての縁を切ってしまうことができる、危うい間柄です。
 
だからこそ、日々の手入れが大事。
自分の親兄弟よりも一番気を使う相手。
 
結婚は
結婚届けを出してからコツコツ
喜び、悲しみ、困難
それを2人で助け合って乗り越えていくこと。
絆と信頼が真の「夫婦」に変えていくのです。
 
記念日は「戦況結果報告」の場でもあります。
そして2人再び人生を手を取って歩くために、
お互いの手を握りなおす、そういう時間でもあります。(反省会)
 
結婚生活は長くて短いマラソンです。
1
年に一回ぐらい
2
人立ち止まって、今まで走ってきた道を振り返り、
その道を遠く眺めて、一緒に走ってきた者同士、
にっこり笑いあい、また走り出すのです。


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感謝、、、、



2015年4月5日日曜日

50 Years of Aikido in New Zealand

50 Years of Aikido in New Zealand







To mark the 50th anniversary of aikido in New Zealand we have made up a 16-page booklet of photos and news-clippings from our personal albums and scrapbooks. Page One shows Hisae teaching aikido at the YWCA in Auckland in 1965, as featured in the “New Zealand Herald” at the time.

The Introduction to the booklet reads as follows:


Introduction

The following historical photos and clippings were taken from our private albums. Although we opened the first dojo in New Zealand (in 1965) we were absent from the scene for 15 years during our second sojourn in Japan, and there have been many other teachers who have contributed to the development of aikido then and since.They deserve a place in any formal history—which this little booklet does not pretend to be. We have confined ourselves here to the history of our own dojo and do not intend any slight to those persons not mentioned herein. Important persons within our own aikido “family” may also have been omitted due to lack of material, and we apologise for that.

Being the first was an accident of history and not a great personal achievement, and the growth of aikido since we pioneered it in New Zealand has been due to the sincere efforts and enthusiasm of so many fellow instructors and students who have our everlasting respect and appreciation.

Fifty years is nevertheless a significant milestone and we feel that reflecting on the past is important for a better appreciation of the present, and should contribute to a positive outlook for the future. The photos are not of the best quality, due to their age, but we hope they will be of interest.

         David & Hisae Lynch (May, 2015)





Caption: Japan in the 1960s: David in the street outside the Yoshinkan Dojo where he spent 18 months as a live-in student (uchideshi) in the early 60s, and Hisae Kamata featured in a Japanese magazine teaching aikido at a girls’ college in Tokyo. Hisae was already 3rd Dan when David joined the dojo. She was Shioda Kancho Sensei’s secretary. David was the only non-Japanese uchideshi at that time. He often walked around the streets dressed in a dogi and wearing geta (wooden clogs).

2015年4月4日土曜日

真の世界の構図


              
             (私の大好きな池田整治先生記事をシェアーいたします。)



真の世界の構図
                    By 池田整治

【還暦総決算】
「この国を操り奪う者たち」(ヒカルランド)が今、手元に届きました。
15歳からはじめた41年間の自衛官生活、そして還暦。
その総決算の半生記と言えます。
今回、その前書きをお届けします。

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(はじめに)・・日本を奈落の底に陥れようとするものたち
人生は、不思議で深く、また楽しい。
それは未知の山登りに通じます。
進むたびにやってくる三叉路で、迷いながらも道を選択してさらに歩みます。
「もし、あの道(職)を選んでいたら
「もし、あのとき彼女(彼氏)と結婚していれば」等々、心の中で葛藤しながら
そして、定年退職を迎える頃、あるいは女性なら子育てを終えた頃は、
山登りなら小さな峠を迎えた時と言えます。
ちょっとした達成感で一呼吸して立ち止まって後ろを振り返った時に、
それまで暗中模索で歩いてきた森の全体像が鳥瞰図的に一望に見えます。
そのとき、やっと自分の人生航路の意義が少しは明確になるのかも知れません。
そうなるとしめたものです。
残された最後の日々を、目的意識を持って活き活きと、
人生の最終的な真の目的に向かって歩むことができることでしょう。
いずれにせよ、全ての人にとって、
今日の「今この時」が人生で一番若い時です。
現代文明の歴史的な進化の歩みの中で、
時期的にも決定的なターニングポイントを迎えている今、
限られた貴重な日々を迷うことなく本来の道を歩むには、
今の自分の位置・環境を鳥瞰図的にしっかり知ることです。
 特に、この日本社会を巧妙に裏から情報支配し、
善良な市民を誤った道に導いて陥れながら経済的に搾取している輩の存在を
しっかりと知って、
本来の道を踏みはずさないことがとても大切です。

私は、4年前に41年間勤めた自衛隊を退職し、
現在、自称「真実の語り部」として執筆と言論活動を行っています。
通常ならば、今頃は自衛隊の就職援護のお世話を受けて再就職し、
サラリーマン生活に入っているはずです。
ところが、退官前に「マインドコントロール」(ビジネス社)を出版して異端児となり、
ネット上においてもトンデモ元自衛官のレッテルを貼られ、
現在独立独歩イバラ?!の道を歩んでいます。

何が私にこの道を歩ませているのでしょうか。
私には、ハッキリ未来が見えるのです。
このままでは、日本人は知らず知らずに人口抹殺されながら、
お金だけは世界金融支配者たちに吸い取られてしまう近未来地獄絵図が
また、それらの総決算としてのどんでん返しの「大峠」が身近に迫っていることも
なぜならそこに、日本を奈落の底に落とし込めようとしている「真の敵の姿」が見えるからです。

例えば、この4月に来日したオバマ大統領が、
世界を金融支配する輩たちの使用人に過ぎないことがわかれば、
中国や韓国、北朝鮮を巻き込んだ「歴史的な仕掛け」を「洞察」した上で、
未来の日本人のために何を選択しなければならないか、
自ずと答えは出てくると思います。

端的に言えば、原発の再興は世界金融支配体制からの強制であり、
ドイツのように脱原発・自然との共生型国家に切り替えた時、
日本は戦後の植民地体制から脱却し、真に独立国家になった、と判断できるのです。
この構図がわからない限り、真の世界情勢は理解できません。

人は、それぞれ自分の体験を通じ成長し、認識力を高めて行きます。
私が、このような認識を持つようになったのも、
15歳から56歳まで歩んだ自衛官という人間修養の道のおかげです。
まずその入り口で、15歳で飛び込んだ直後に味わった、
社会的な自己の存在そのものを否定されるという目覚めのための「ショック療法」は、
その後の私の人生、特に思考過程に深く影響を及ぼしました。
また、運用幕僚という、この国をいかに守るかという
国家の命運を直接考えるきわめて限られた少人数の作戦幕僚の立場になって、
さらに実際に阪神淡路大震災やオウム事件、有珠山噴火災害などの現場等で得た
体験がなければ、
マインドコントロールも書かなかったし、今の私も存在しません。

それ故、41年間の自衛官の道を歩みながら、
どのようにこの認識が確立されていったのか、
あるいは真の敵を意識するようになったのか、
この本で明らかにしたいと思います。

我々日本人のDNAには、自然ばかりか全ての万物と共生できる
世界唯一の「ヤマトごころ」の遺伝子があります。

そのわれわれの兄弟であるアメリカ・インディアンのホピ族には、三叉路があれば、
「7代先の子孫まで永久(とわ)に続く道」を選んで歩みなさい、という教えがあります。

私たち日本人も、7代先の子供たちが活き活きと生活できる社会を残さなければなりません。

この本が、その未来へつなぐ一つのきっかけになることを祈ります。
(引用終わり)
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是非、拙著が少しでも日本人の覚醒、日本の蘇りに役立てば幸いです。
細部は、池田整治公式HPからご確認下さい。


2015年3月27日金曜日

50年の大変換の始まり



1965年4月のある日

桜が満開の日本を後にして

婚約者の待つ

ニュージーランドに向かって飛び立った。

羽田空港をカンタス航空で出発

香港、マニラで各2時間程給油停泊後

シドニーへ、そして、

前エアーニュージーランドのTEALに乗り換え

オークランド空港に着陸、

羽田を出発後約24時間の

長い長い空の旅、

それも全てが初体験!

心細さは一つも感じられなかった!

あの長い空の旅の疲れも

空港で迎えてくれた婚約者と

はじめて出会った彼の母親の優しい抱擁に

心から癒された。

私の人生の新しいページが開かれた一瞬!






護身術が縁で結婚に!









はじめての稽古開始

オークランドの町中にあるYWCAにて
少人数のクラスで始まった
デヴィッドの解説と
デモストレーシオン
そして参加者に体験してもらい
楽しい稽古が始まりました。


記事の下の写真の右から4人目の少年は
後にリンチ道場に稽古に来る様になって
指導員として活躍しているポールの叔父に当る人と
云う事が分かった。

歴史の中に繋がりが広がって行きました。












1966年頃
一般公開演武
パーミューワ、ユースセンターにて






流れ行く月日に

素直に


身を任せて


魂を浄めて行こう!

全ての出来事が

全ての出会いが


万全のタイミングで

起こっている


此の時

天地、宇宙の全てに感謝


ありがとうございます!



安寿 妙光
























2015年3月1日日曜日

魂の人生学



魂の人生学          七田真 著「魂の人生学」より


太古の昔、人々はプラーナ(宇宙エネルギー)と
意識が繋がっていました。

それは1万3000年前、ポールシフト(地軸移動)と共に
記憶は消えてしまいました。


口と鼻から霊気を吸い、頭頂の部分や会陰など体の上下から
プラーナが流れ込み、チャクラの一つに集まるのです。
どのチャクラに集まるかは、人によって異なります。


昔は松果体が目覚め、プラーナが通っていましたが、
今では松果体を通過しなくなっています。


網膜と松果体には光受容細胞があり、それは感光器官なのです。


植物は光合成によって、直接太陽から栄養を受け取っているのです。


松果体こそ人体の光のシステムの司令塔なのです。


つまり松果体を活性化することが光によって活きるための鍵となります


人間の松果体を活性化するには、スピリチュアルエネルギーを
変容するプロセスが大きく関わっています。


松果体は6mmx8mmの小さな器官です。
ここを活性化するには、太陽エネルギーを活用することが条件ですが、
長期間ヨガや瞑想を続ける事でも活性化することが出来ます。


太陽視によって、光エネルギーを取り入れると、
体内で電気的、磁気的、化学的エネルギーに変容されます。


エネルギーの貯蔵庫は、大脳辺縁系の奥底、又は延髄の一部にあると考えられており、ここに充電することが大切なのです。


延髄はあらゆる生命中枢の集まったところで、生命エネルギーの貯蔵庫として働きます。


七田チャイルドアカデミ-名誉校長
教育学博士
七田 眞 著「魂の人生学」より

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2015年2月15日日曜日

ネルソン マンデラの言葉


*ネルソン マンデラの言葉

私たちの最も深い恐れは、
自分たちが無力であることではない。
 

私たちの最も深い恐れは、

「自分たちが計り知れない力を持っている」

ということである。
 

私たちを最も脅かすものは、

闇ではなく、光なのである。
 

私たちはこう自問する。

「光輝き、華があり、才能があって、素晴らしい。
 そんな自分がどこにいるのだろう」と。

では実際、そうではないあなたが、
どこにいるというのだろう?
 
 

あなたは神の子である。
 

取るに足らない者のふりをすることは、
世界のためにならない。
 

「周りの人が不安にならないように」
 

と縮こまっていては、
周囲が良くなっていくことは何1つない。

 

私たちは、誰もが輝きをもっている。

子供たちがそうであるように。 
 

私たちは、内なる神の栄光を顕現するために生まれてきた。
 
 
神の栄光は、一握りの人たちの中にだけあるのではなく、

すべての人の中にあるのだ。
 
 

私たちが自分自身を輝かせるとき、
私たちは、無意識のうちに、
他の人々も同じようにすることを促している。
 

私たちが恐れから自由になるにつれ、

私たちの存在そのものが、

自然に、他の人々をも自由にしていくのだ。
 

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ネルソン・マンデラ、南アフリカ共和国元大統領
就任演説(1994年)