2015年1月25日日曜日

エルフの竪琴




【エルフの竪琴】

                    By 谷 よっくる

ジンジャー峡谷に近い沢のほとりに、一人のエルフが居を構えていた。
彼女の齢は三百歳を越えていたが、見た目は普通のうら若き
乙女のようだった。
彼女は自然とともに生きることを愛していた。
多くの人が住む街にはなんの興味もなかった。
久しく人と会っていなかった。
彼女は、美しい小川の水や、清浄な泉の湧き水を飲み、暮らしていた。
たまに木の実を食べるくらいで、それだけで元気にしているのだった。
彼女は素敵な音色を奏でる竪琴を持っていた。
精霊界の職人が作ったもので、長年の時を経ても、壊れることなく、
素敵な音色を奏でるのだった。
彼女がその竪琴を奏でると、その音色は風に乗って、森をめぐり、
川をめぐり、谷をめぐり、やがて人里まで達するのだった。
人々はその竪琴を、エルフの竪琴と呼んだ。

ある時、一人の旅人が、ある村でエルフの竪琴の噂を聞いた。
ジンジャー峡谷には一人の美しいエルフが住んでいて、
さみしい時に竪琴を奏でるのだという。
その音色は、この世のものとは思われぬほどの素晴らしさだという。
ただ、数年前に聞いた人がいるが、それっきりだという。
人々は、エルフがいなくなり、竪琴だけが残されているのではないか
と噂していたのだった。

旅人は本当にエルフがいるのなら、会いたい、そして近くで竪琴を
聞かせてほしいと思った。
旅人は村人にジンジャー峡谷への道を尋ねると、
まっすぐ向かっていった。
ジンジャー峡谷へは、整備された道はなく、
けもの道をかき分けながら進んでいくしかなかった。
ジンジャー峡谷に人が訪れない理由はそんなところにもあった。
道の険しさに辟易しながら、旅人は黙って前に進んでいった。
いくつもの昼と夜を、山や森の中で過ごした末に、
旅人はある沢のほとりにたどり着いた。

そこには清流がさらさらと流れ、風は肌に心地よくそよいでいた。
沢の近くには、見たこともないような美しい花々が咲き乱れる
野原があり、そこでは野うさぎたちがじゃれあっていた。
沢を下ると、滝になっており、滝の下は視界が届かぬほどの
深い谷になっていた。
おそらく、この谷がジンジャー峡谷なんだろうと旅人は思った。
だとすれば、エルフが住まうのは、あの沢の近くに違いない。
旅人は、沢まで戻ると、そこにテントを張った。
当分は警戒して出てこないだろうが、こちらに敵意がないことが
わかれば、いずれエルフの方から姿を現すだろう。
旅人は長期戦を覚悟していたが、果たしてそれから一ヶ月ほどは
なんの気配も感じられなかった。
旅人は、自炊して、川の水を飲み、木の実や果物を食べて過ごした。
肉食はエルフが嫌がるだろうと考えて、極力しないようにしたが、
たまに釣りをして、とれた魚を焼いて食べたりもした。

そんなある日。
この日は、いつもと様子が違っていた。
一ヶ月も、きれいな沢の水を飲んで暮らしていたためか、
体調はすこぶるよく、気持ちは清々しかった。
旅人は、沢の音を聞きながら、岩の上で座禅を組み、瞑想した。
何かが起こる。そんな予感がした。
今日こそはエルフに会えるかもしれない。そんな思いが頭をよぎったが、
その思考にとらわれないようにしようと思った。
すべては流れるままに、あるがままに…。

すると、旅人の耳に、沢のせせらぎや、谷を渡る風の音、
森にこだまする鳥のさえずりがひときわ大きく聞こえてきた。

旅人は無我の境地となり、
体は岩の上に鎮座したまま、心は体の束縛を抜け出し、自由になった。
旅人の心は、蝶になって花から花へと飛び回った。
旅人の心は、野うさぎになって、野原を駆け回った。
旅人の心は、魚になって、清流を泳いだ。
そのすべてが、平和で、幸福に満ちていた。
これこそが、自然とともに生きるということだ。旅人はそう感じた。
ずいぶん長い間、忘れていた感覚だった。
子供の頃に、時間を忘れて野山を駆け回っていた、あの感じ。
それを取り戻したかのような気分だった。
旅人の心は満ち足りていた。
エルフのことは頭から消えていた。

自分の体に戻ってくると、旅人は、ここに来てよかったと、
自然に感謝した。
そして、人間は、もっと自然とともに生きなければならないと
痛感した。
旅人は、また、この地にやって来ることを誓って、
沢をあとにしようとした。

すると、どうであろう。
沢のせせらぎに混じって、
竪琴の音色がどこからか聞こえてくるではないか。
その澄んだ音色を聞いているうちに、
旅人は顔をクシャクシャにして泣き始めた。
哀切をおびた竪琴の調べに心を揺り動かされ、旅人は嗚咽した。
そんな旅人の脳裏に、エルフの言葉が響いてきた。

「旅人よ。ようこそ、この谷へ参られました。
私は、久しく人間に会っておりませんでしたが、
今、あなたにお会いできたことをうれしく思います。
私の竪琴を聞くことができるあなたは、素晴らしい感性をお持ちですね。
なぜなら、私は、今はもう、肉体を持たないスピリットの存在だからです。
私は、もう肉体を必要としなくなったので、自ら肉体を脱いで、
スピリットの世界へと帰りました。
あなたがた人間で言えば、死んだということになるのかもしれませんが、
肉体が精妙なものに変わったと言う方が正しいかもしれません。

私たちは(あなたがた人間もそうですが)、もともと
スピリットの世界の住人なのです。
だから、地上での役割を終え、スピリットの世界に帰ることは
自然なことなのです。
そして、こうして地上にいた時のように、竪琴を奏でているのですが、
私の竪琴は、精妙な波長で奏でられるために、
人間の肉体の耳では聞き取ることは難しいのです。
でも、あなたのように、自分の意識を精妙な
波動に合わせることができれば、聞こえるのですね。
私は、あなたに出会えて、うれしく思います。

私は、あなたにお伝えしたいことがあります。
それは人間という種族全体に関わることです。
それは、自然とともに生きなさい、ということです。
自然とともに生きる素晴らしさを、あなたはたった今、
体験されたと思います。それを是非、多くの方に伝えて頂きたいのです。

これから、人々はますます進化をとげることでしょう。
しかし、それは自然から遠ざかっていくことを意味します。
人間には、たゆまぬ歩みの中で、進化、成長、
発展をしていきたいという本能があります。
その思いが創造力となって、あなたがたは自分の思い描く世界を
現実化していくのです。

それは、私たちエルフが持たない、素晴らしい属性なのですが、
自分たちの生活を便利にするために、自然を我が物顔で破壊し、
自分たちの都合のよいように作り変えてしまう、
そういうマイナスの一面を持っています。
そのようにして、人間の文明は興亡を繰り返してきたのです。
それは人間という種族が持つ業なのかもしれません。

けれど、そのツケは必ず人間自身に跳ね返ってきます。
自分の代には何もなくても、自分の子や孫の代に、
その結果が現れてきます。
残念なことに、人間の目には、そうした長期的なビジョンは
映らないようですが…。

人間は、もっと知らねばなりません。
この世は人間が考えている以上に、複雑で、精妙な作りになっています。
人間の目に見える世界は、この世の、いえ、この宇宙のほんの一部分に
すぎないもの。
人間の限られた物差しで、地球環境を作り変えてはなりません。

自然を見て下さい。
この自然の調和、美しさは、何千年、何万年と
受け継がれてきたものです。
そこに答えがあります。
エルフは、そのようにして与えられた地球の環境とともに
暮らす種族です。
人間にエルフのように暮らせとは言いません。
それぞれ、種族によって神様に与えられた個性が違うからです。
今はもう、ほとんどのエルフがこの地球での学びを終え、
スピリットの世界に帰っています。
そして、
人間たちがどのような文明を作り上げるのかを見守っています。

自然とともに生きる素晴らしさを忘れないで下さい。
あなたがたがこれから切り開く文明が、自然との調和を
忘れないことを祈ります。
自然との調和を、共生を、是非、あなたの子孫に伝えて下さい。
あなたがここで得た、悟りとともに。

沢の近くにある古木の中に、私が地上で使っていた竪琴が
置いてあります。それは、私が地上にいた証明でもあります。
あなたはそれを持って、人里に戻りなさい。
そして、時折、その竪琴をかなで、この沢のことを思い出して下さい。
そうすれば、あなたの心はいつでもここに帰ってくることができます。
もしかしたら、わたしの竪琴も聞こえるかもしれません。
あなたの心に自然を愛する思いがある限り、私たちは、
時空を越えて、つながっていられるでしょう。
ありがとう。愛しています。」

エルフからの通信を受け取ったあと、旅人は、沢の近くにある
木という木を一本一本見て回った。
そして、ある古木の根元に使い古された竪琴を見つけた。
旅人は、うやうやしく竪琴を押し頂くと、それを小脇に抱え、
沢をあとにした。

それから、旅人は、彼の祖国に帰り、祖国の人々に
エルフの竪琴の物語を
伝え歩いた。
竪琴の音色を人々に聞かせると、エルフの思いが人々に
伝わりやすいようだった。
旅人の地道な活動は、彼が死ぬまで続いた。
そして、彼が天寿を全うした時、スピリット界から
あの美しいエルフがやって来て、彼の魂を迎え入れたのだった。




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